プロレスリング散空抱地 〜人類選抜戦〜

 
 リング上で二人の男が向かい合っている。一人は赤いハーフパンツに身を包んだ黒髪の男で、もう一人は黒装束に身を包んでいる。
 画面が切り替わり、入場口からリングを眺めている雅婁馬隆作を映し出す。
 険しい顔の大男は展開の読めない映画を前向きに楽しむ子供のような表情だ。
 画面は再びリングに戻り、黒装束の人間がマイクを口の前に持って来て赤いハーフパンツの男に言う。
 黒装束の人間「あんたが誰だかは知らない。激務の俺たちには水曜の夜にテレビを見る時間さえないからな。だが、あんたのボスがそれほど俺たちを恐れるなら一歩一歩外堀を埋めて引きずり出すまでだ。あんたに個人的な恨みはないが、この番組に参加している時点で雅婁馬の思想に同調しているものと見做して遠慮なく叩き潰すことにさせてもらう」
 アナウンサー「そうか。激務の大統領特殊精鋭部隊は水曜夜の散空抱地を見られない。もし見ていれば野上拓馬が雅婁馬に敵対している可能性に気付くことができたかもしれない」
 リング上の黒装束の人間はリングサイドでセコンドを務めている二人の黒装束の人間にマイクを渡した。
 アナウンサー「その可能性に気付いていれば共闘という選択肢もありえたかもしれません。表だった共闘ではなくても示し合わせて雅婁馬を倒す為の何かを起こすことが」
 解説者「しかし、野上拓馬の方から共闘を持ちかけるという選択肢はまだ残っているだろう。残ってはいるが」
 ゴングが鳴る。試合が開始される。野上拓馬のサイドにはいつの間にか黒装束の人たちのハイキックで眠らされたはずの阿杜未森がセコンドについて敵に野次を飛ばしている。
 リング中央で両者組み合う。黒装束の人間が野上の背後を取り、胴を掴んでコーナーに向かっていくが、その途中で野上が片腕を取り、そのまま体を回転させて投げると黒装束の人間は野上もろとも体をマットに叩きつける。
 解説者「ここまで雅婁馬への敵対心を隠し、慎重に振舞ってきた野上にとって、この黒装束の奴らと共闘することは大きなリスクと言えるだろう。表だって敵意を表明した時点で最終戦争に突入することになる。俺が野上の立場なら、そうだな。今のこの状況に最も逆らわない方法でまずは黒装束の奴らの実力を確かめるだろうな。つまり、普通に闘うんだ。そして確かめる。奴らが手を組むリスクに値するかどうかをな。奴らにそれだけの実力がないのなら普通に倒してしまうのがベストだろう」
 アナウンサー「さて、リング上では野上拓馬が関節技を掛けようとしていますが、黒装束の人物が懸命に動きながら掴ませまいとしています」
 野上拓馬がうつ伏せになった黒装束の人の両足を掴んで後ろ向きに腰の上に座ることで背骨に危険なプレッシャーを掛けていき、黒装束の人は苦悶の呻き声をあげながらも懸命に両手でマットを這い、ロープを掴む。
 ロープを掴んだことを確認したレフェリーがすぐさま野上を制したので、野上は技を解いて黒装束の人から離れる。画面が切り替わり、入場口でにやついている雅婁馬を映し出した。
 黒装束の人は危険なプレッシャーを受けた背骨の痛みに悶えるが、おぼつかないながらも懸命に立ち上がる。
 アナウンサー「どうでしょう。大統領直属の特殊精鋭部隊という経歴、そして、阿杜未森をハイキックで一撃KOしたことだけでも彼らが並みの使い手でないことはわかります。しかし、あの2メートル13センチ、210キロの雅婁馬隆作の相手になるレベルといえるでしょうか」
 ふらふらと立ちあがりよろよろと立っていた黒装束の人間だが、突如素早く身を低くして野上拓馬の懐に入り、片手で足首を固定しもう片方の手で膝の裏を押すと、野上拓馬は膝をついて倒れてしまう。
 すぐさま立ち上がった黒装束の人は疾走感のあるスピードでロープに走り、反動で戻ってくると膝立ちの野上の顔面に強烈な膝蹴りを喰らわす。
 野上は膝をマットに付けたまま後ろに倒れ込む。
 アナウンサー「クリティカルヒットだ。精鋭部隊が意表を突いた素早い動きで機先を制しました」
 解説者「どうだろうな。一対一で雅婁馬に対抗できるレベルかどうか。だが、今のはいい攻撃だった」
 黒装束の人がすぐさまカバーに行くが、3カウントぎりぎりで返す。
 アナウンサー「野上拓馬はあと僅かで敗北というところでした」
 解説者「その僅かというのは散空抱地脱落への僅かだった。忘れてはいけない。野上拓馬はこのたった一試合に負けるだけで散空抱地脱落という過酷な条件を強いられている。田舎の家族の元から出てきた野上拓馬は散空抱地を追放されたら何をするつもりなのだろう」
 両者が立ち上がろうとし、当然のごとく黒装束の人が先に立ち上がり、立ち上がりかけの野上拓馬のボディに拳を連打してからロープに走り、帰ってくると迎え撃つ野上拓馬の延髄にジャンプしながら回転して蹴りを浴びせに行くが、野上拓馬は身を低くして交わし、蹴りの勢いでロープに背中を預けた黒装束の人はその反動でクローズラインを放ち、再び身を低くして潜るように交わした野上は同じロープに背中を預けてその反動で反対のロープに走っていく黒装束の後を追い、黒装束は片足でロープに飛び乗り、もう片方の足で追ってくる野上の顔を蹴ろうとするが、動きを読んでいた野上拓馬は減速することで蹴りを交わす。ハイレベルな攻防に観客は思わず言葉にならない呻き声を漏らしてしまう。
 アナウンサー「先ほど中野さんは精鋭部隊の実力に関して“雅婁馬と一対一で対抗できるレベルかどうか”とおっしゃいましたね」
 着地した黒装束に野上拓馬はクローズラインを撃とうとするが、足の裏で野上拓馬の顔を蹴ると野上拓馬は倒れる。
 アナウンサー「雅婁馬軍打倒には一対一で雅婁馬隆作を上回る必要があると考えているのですね?」
 解説者「ああ。いかに屈強な雅婁馬といえど武術の嗜みがある者が二人もいれば雅婁馬を倒すことができるだろう。だがどうやって?雅婁馬の背後には大統領執務室を掌握するだけの戦力が控えている。徒党を組んで攻略するのは分が悪いと俺は見ている」
 黒装束がロープに走り、反動で帰ってくると倒れている野上拓馬を飛び越えてロープを踏み台にしてジャンプし、野上拓馬に強烈な肘を落としていく。激しい音がする。
 アナウンサー「精鋭部隊のえぐい攻撃が決まります。野上拓馬はこのまま脱落してしまうのでしょうか」
 解説者「俺は雅婁馬軍を倒すなら雅婁馬とリング上での一対一で決着を付けるしかないと思ってる。ラストマンスタンディング戦のような文句のつかないやりかたでな」
 野上拓馬を痛めつけて十分な手ごたえを感じたらしい黒装束はトップロープにのぼる。
 アナウンサー「大統領直属の精鋭部隊がトップロープにのぼります。決着を付けに行く気だ」
 場内は騒然としている。目の前で起きていることが一体何なのかをまだ把握できていないといった面持ちだ。
 黒装束は高く飛んだ。そして、腹を相手の体めがけて落としていく。
 しかし、野上拓馬は寸前で身を交わした。
 黒装束は激しくバウンドし、次の瞬間赤い物体がその体に絡みついた。
 野上拓馬がいつのまにか腕十字をかけている。
 5秒持たずに黒装束は思わずタップしている。レフェリーが試合を止め、ゴングが鳴る。
 リングアナ「勝者。野上拓馬」
 アナウンサー「電光石火のフィニッシュでした。野上拓馬が敗北寸前から目にもとまらぬ早業で勝利を奪い取りました」
 解説者「何だったんだ今のは。全然見えなかったぞ。野上拓馬はタフなだけではなく関節技の名手でもあるのか」
 野上拓馬は無表情で手を上げる。
 画面が切り替わり、入場口で拍手をして野上拓馬の勝利を称えている雅婁馬隆作の姿が映る。場内は割れるようにブーイングに包まれる。
 雅婁馬はマイクを持ちながらゆっくりとリングの方に歩いていく。
 アナウンサー「雅婁馬がリングに向かっています」
 解説者「何をする気なんだこの男は」
 雅婁馬「フフフフ。見事だったよ野上君。神聖なるリングは無事に守られたようだね」
 リング上で先ほどまで闘っていた黒装束はまだ腕を押えて転がっており、あとの二人はリングに入って雅婁馬が来る方に身構えている。
 しかし、雅婁馬がもっと近づくと腕を押えている黒装束を二人で抱えるとリングを降りて客席のフェンスを越え、通路を逃げていく。
 雅婁馬はそんな彼らのことは意にも介さずにリングの下までくるとそこで立ち止まった。
 雅婁馬隆作「さあ。聞かせてくれ野上君。雅婁馬軍への忠誠心、雅婁馬軍の理念がいかに素晴らしいか。そして、雅婁馬軍の為にどんな犠牲を払う覚悟ができているか。フフフ。実はね、野上君。私は君のことをとても気に入っているのだよ」
 アナウンサー「雅婁馬隆作は試合前に、負けたら即追放、そして、勝った場合には雅婁馬軍への忠誠をスピーチするという条件を突き付けていました」
 野上はマイクを口の前に持っていき何か喋ろうとするが、中々喋らない。
 固唾を飲んで見守っていた観客からざわざわとざわめきが起こり始める。
 雅婁馬隆作「そうかあ。君はシャイなんだね。シャイだから今にも胸から溢れそうな雅婁馬軍への思いをうまく言葉に変えることができない。フフフ。わかるよ、君の気持ち。そうだな。未森。お前がお手本を見せてやってくれ」
 すると、野上のセコンドにいた阿杜未森がリングに入ってマイクを持った。
 観客席からは大音量のブーイングが飛ぶ。
 阿杜未森「いやあ。雅婁馬さんへの忠誠心を語らせてもらえるなんて光栄です。俺、雅婁馬さんにだったら何処にでも付いていくつもりです。雅婁馬さん。ぶっ飛ばしたい奴がいたら教えてください。すぐにぶっ殺しますんで」
 雅婁馬はリングの下で聞いている。
 雅婁馬「フフフ。おいおい、物騒だなあ。そんなこと言うとまるで俺が怖い人みたいじゃないか。フフフ。まったく変わった奴だ」
 アナウンサー「この悪夢はいつまで続くのでしょう。目眩がしてきました」
 雅婁馬「どうだい、野上君。いい参考になっただろう。何も深く考え込むことはないんだ。君のただありのままの気持ちを素直に表現したらいい。な?簡単だろ?」
 阿杜未森が新人にエールを送る優しい先輩のような顔で野上拓馬にマイクをわたす。しかし、野上拓馬はマイクを口の前に持って来てからしばらく何も喋らない。
 雅婁馬「フフフ。わかるよ。思いが強すぎると言葉にすることができないんだね。よし、こうしよう。SKハーシュ。出てこいよ」
 しばらくの沈黙の後に音楽が鳴る。
 アナウンサー「これはSKハーシュの入場曲コールデストストームの『SKドリーム』ですね。ネット上ではSKハーシュにこれまで試合がなかったのはこの曲の完成が遅れた為との噂があります」
 解説者「ツイッターなどでまことしやかに囁かれていたな」
 SKハーシュが入場し、大歓声の中でリング下の雅婁馬隆作を睨みながらリングに上がった。
 野上拓馬からマイクを受け取る。男たちは意味深な視線を交わしあった。
 雅婁馬隆作「さあ、聞かせてくれハーシュ君。雅婁馬軍への忠誠心、雅婁馬軍の理念がいかに素晴らしいか。そして、雅婁馬軍の為にどんな犠牲を払う覚悟ができているか。フフフ」
 SKハーシュ「ひとつひとつ答えていくことにしよう。まず、雅婁馬軍への忠誠心は皆無だ」
 観客大歓声。
 SKハーシュ「雅婁馬軍の理念は川底の砂粒ほどの素晴らしさもない。そして、雅婁馬軍をつぶす為ならどんな犠牲を払う覚悟もできている。雅婁馬。お前の理念を体現する世界は永遠にこない。」
 割れんばかりの歓声。
 雅婁馬「フフフ。面白い男だな、お前は。SKハーシュよ。俺がお前を今すぐぶっ倒さない理由を教えてやろうか。俺自身楽しんでるのさ。お前のような小さな男に一体何ができるのかをな。野上君にマイクを譲ってやってくれ」
 SKハーシュが野上拓馬にマイクを渡す。
 野上はマイクを口の前に持っていき、何かを言おうとする。
 雅婁馬隆作「念の為に言っておくが。今のSKハーシュのようなことは奴だからこそ許されてるんだぜ。他の奴がいったら3秒後には命が飛んでる。まあ、野上君。忠誠心に溢れる君には関係のないことだろうがな」
 野上拓馬「なあ、雅婁馬。その前にひとつだけ確認させてくれないか?」
 雅婁馬「なんだ?」
 野上拓馬「あんたは、俺に雅婁馬軍の理念について語れと言う。だが、あんたが俺の前でそのことについて語ったことがあったか?俺はあんたの理念とやらを完全に理解するまでは軽々しくそのことについて発言するのは控えたいと思っているんだ。あんたこそ語ってくれよ。どんな素晴らしい理念があるのかを俺に教えてくれないか」
 雅婁馬隆作「そうか。残念だがお前はここで失格だ。帰ってくれ」
 雅婁馬のあまりの唐突な言葉に野上は困惑する。
 野上拓馬「ちょっと待ってくれ。あんたが何を言ったかわからなかった。冗談なんだろ?」
 雅婁馬隆作「フフフ。冗談だ。言い間違えたんだろ?お前はシャイな奴だからな。本当は雅婁馬軍の理念を何もかも理解した上で心からの共感を抱えているのに、緊張のあまり自分の思いとは裏腹な言葉を口走っちまったんだろう。わかるよ。フフフ。お前のことは。だが、緊張しないでいいんだぜ。もう一度チャンスをやるよ。今度はちゃんと言えるだろ?」
 アナウンサー「なんというサディスティックな男なんでしょう、雅婁馬という男は」
 解説者「しかし、雅婁馬の野上に対する扱いはただの一選手に対する扱いではない。普通ここまでするか?もしかしたら雅婁馬は既に野上について何らかの情報を掴んでいるのかもしれない」
 野上がマイクを持って喋り出す。
 野上拓馬「雅婁馬軍の理念は素晴らしい」
 観客席から「やめてくれ野上」の声が飛んでくる。
 野上拓馬「俺は雅婁馬軍に忠誠を誓う」観客席から悲鳴。
 野上拓馬「雅婁馬軍の理念は夏の太陽のように素晴らしい。そして、俺はその為ならこの体が朽ち果てるまで闘うだろう。『その後の世界』が訪れた暁には幸せのあまり裸で海に飛び込むに違いない」
 観客からは失望の悲嘆と憎悪の罵倒が入り乱れている。
 雅婁馬隆作「フフフ。それでいいんだ。しっかりと言えたじゃないか。俺は嬉しいぜ」
 アナウンサー「何が起きているのでしょう。一体」
 解説者「俺にもわからん。これは野上から雅婁馬への敗北宣言なのか」
 アナウンサー「お別れの時間がやってまいりました。また来週」
 溶暗







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