中野”ジャック”幸助コラム 窓辺のコスモス
やあ。今回からこのコーナーを担当することになった散空抱地の解説を務めている中野幸助だ。このコーナーでは散空抱地の舞台裏から俺個人の日常、昔の思い出など幅広いテーマで書き綴っていこうと思っている。よろしくな。
ところで、先週の放送は衝撃的だったな。野上拓馬が雅婁馬の軍門に下ったのかという話には敢えて触れないにしても、大統領執務室が雅婁馬軍に掌握されたことが明らかになり、それを告げに来た大統領直属の特殊精鋭部隊はあっさりと退けられてしまった。
世はまさに暗黒に落ちようとしている。暗黒のまさに一歩手前だ。こんな時代には人々の心は支えを失いひずんでしまうことだろう。
だが、俺はこのコーナーで逆境の中でも逞しく生き抜き他の人々を守る心の強さを伝えていきたい。そして、誰かにとってこのコーナーが心の支えになればいいと思っている。
さて、そろそろみんなが気になっているはずの質問に答えることにしよう(笑)。まあ急かさないでくれや。
そう。このコラムのタイトル「窓辺のコスモス」の由来についてだ。
およそ無骨な俺に似つかわしくないロマンチックなタイトルだと言われるのはわかってる。だが、俺が少女趣味に目覚めたなんて思わないでくれ。もちろん、少女趣味は素晴らしいがな。
知っている人も多いと思うが、俺は昔、川相英作という人の道場で練習していたことがあった。川相英作といえばプロレスファンなら誰もが知っている偉大な名前だ。
そこで練習するようになったのは20年以上も前のことで、俺はまだ20代になったばかりだった。俺は当時まだ無名で、インディー団体で、後に6度の世界王者に輝くことになるトニー・ヒーローとの抗争を繰り広げていた。
その道場では俺と同じく無名のレスラーが時に入れ替わりはあったが、常に5、6人程が俺と共に汗を流していた。道場主の英作さんだけが当時から既にレスラーとしての成功を収めていて、確か、既に2度の世界王者をその掌中にしていたはずだ。
一人息子の竜作君が、まだ10歳にもなっていなかったはずだが、お父さんに憧れて俺たち駆け出しのレスラーと一緒になって必死に体を鍛えていたことを昨日のことのように思い出すよ。
日々の練習は厳しくその上バイトもしていた俺は一日を終える頃にはフラフラになっていたが、そんな生活の中に一服の清涼剤のような存在があった。
英作さんの奥さんの由加里さんはとても綺麗な人で、道場生の俺たちはみんな彼女のことが好きだった。といっても変な意味でじゃないぜ。一人の人間として好きだったのさ。
川相道場はお世辞にも大きいとは言えなかったが、ハードなスパーリングで乱れた息を整える為に窓際で休む時、ふと窓から首を出すと、その下に花壇があってそこに綺麗なコスモスの花が咲いていた。
それは、園芸が趣味の由加里さんが大事に育てていたものだった。むさ苦しい俺たちの日々の生活の中に華やかさを添えてあげようという優しさもあったのかもしれない。
今回、このコラムの話を受けた時、タイトルをどうしようかということになった。
中途半端な気持ちで仕事を引き受けたくなかった俺は、自分の人生をそこに込めようと思った。自分の人生といえば間違いなくプロレスだし、レスラーとしての俺の根幹がつくられたのは間違いなくあの川相英作道場だった。そして、川相英作道場を思い出すとき、最も強い印象として思い浮かべるのがあの由加里さんのコスモスだったんだ。
それで俺は何の迷いもなくこのコラムのタイトルを「窓辺のコスモス」にしたというわけだ。
こんな俺にもロマンチックな一面があるだろう?
ここらへんで今回は以上だ。またな。次回の散空抱地で会おう。
中野“ジャック”幸助