ガストン・ボイル『カルピスの悲劇』

 得てして作品の出来不出来に関わらず好きな作品と嫌いな作品というものがある。
 筆者にとって、欠陥に目を瞑ることはできないにも関わらず作者に称賛を送らずにはいられない作品がシャトレイ・ルルーの『三番打者は静かに嗤う』であるとするなら、出来の良さは認めるものの今一つ好きになれずにいた作品がダントツでこの、サー・ガストン・ボイル氏による記念碑的な1997年のベストセラー小説『カルピスの悲劇』だ。
 物語は、雪の降る北欧の小さな町で、下働きの少年パピロスが、カルピスの入った壺を運んでいる最中に割ってしまうところから始まり、まるでアンナ・ニコライソフの第二長編『翼竜のワルツ』の舞台を思わせる美しい田舎町に隠された、妬み、憎しみ、老い、それら純白の雪が覆い隠すあらゆる醜さが、氏一流の執拗な筆致によってこれでもかというほどに克明に浮かび上げられていく。
 この、鏡のように読む者の心を映し出す鋭利な小説が、20世紀最後にして最大の小説の内のひとつであることは、多少なりとも文学に造詣のある諸氏なら誰もが頷かれることであろう。
 では何故、筆者は今までこの比類なき名作文学を今一つ愛せずにいたのだろうか。
 その答えと言えそうなものが見つかったのは昨年の暮れに従兄弟を訪ねて行った雪の降る村での滞在最終日のことだった。私はその村で恋に落ちていた。当時、妻に別れを突き付けられて傷心だった私に、役場の窓口から微笑みかける彼女はさながら天の使いのように映った。
 私が文士の端くれであることを知った彼女は、一番好きな小説について語り始め、次いで私に意見を求めた。
 ああ、今にして思えば、それが私の醜さだったのかもしれない。ああ、それが命さえも奪うことになろうとは。
 軽く口に含んだアルコールの廻り始めで体が熱く高ぶっていた私は、激しくなる議論の末にあろうことかこう口走ったのだ。
 「ユーリ・ティーガーは実のところ娼婦に過ぎない。祖母の残した莫大な財産がそれを見えなくさせている。それとも、美しく白い雪が覆い隠しているのでしょうか。だってそれは、醜さを隠す為にあるのでしょう?」
 後悔した時にはすべてが遅かった。暖炉の前で立ち竦む私には、顔を紅く引き攣らせた彼女の左フックの痛みと度の強い悪魔が脳中の血管を暴れ廻る痛みさえ満足に区別できない有様だったのだ。それが村を去る前日のこと。
 翌日の朝、顔を洗う為に覗き込んだ鏡の中の物体に感じた嫌悪感は、彼女の一番好きな小説に私が抱いていた嫌悪感と恐ろしいほどよく似ていたが、あの時の私はそれを決して認めようとはせずに、下着姿のままで借りていた部屋を雪の降る往来へと飛び出していた。
 彼女の家に押し入ると、私はまずありったけの皿を割り、次に「私と来い」と言った。私は逃げたかったのだと思う。彼女から。そして、自分自身の拭いがたい醜さから。
 怯える彼女の母の横で毅然と見据える二つの瞳に私はもう後には退けないことを知った。
 「私はひどく酔っていたんだ」皿がもうどこにも見つからなかったので、散乱する白い破片に地団駄を踏む。思いつく限りの罵倒の言葉を吐き疲れ切って静かになった私を彼女は憐れみに満ちた目で見つめながら、私が心の中で最も恐れていた言葉を吐いた。
 「貴方はユーリ・ティーガーを陥れようと画策した揚句に身を滅ぼした男にとてもよく似ているわ。違いと言ったら、貴方にはほくろがないことぐらいね」
 まったくその通りだと思った。私は気が触れたように笑い出し、冷蔵庫からパック入りのカルピスを取り出すと、下着姿のままでまだ夜の明けきらぬ往来に出てカルピスをそこらじゅうに撒き散らした。
 「なあ、これが何に見える?ああ、わからないだろうな。だがな、これは白というんだ。そう。白だよ。そうさ。そうなのさ。くそったれ」
 それは私が何度も読み返していた小説の最も有名なセリフだった。
 私は汽車でその日中に街に戻ると、離婚以来そこで過ごしていたホテルの部屋をチェックアウトし、年越しの喧騒から逃れるように長距離バスに飛び乗った。
 ここ、シルバーグラスには雪が降っている。窓を開ければ林立する白樺たちが雪に埋もれて光を反射するのが見えることだろう。けれど、窓は今は曇っている。
 私はここに来てまず初めに暖炉に火を灯したのだが、ほどなくして私の恩師であり、五年来の友人でもある雑誌ゴシック・パンダ編集長マルコ・デルフィン氏から依頼されていた仕事のことを思い出し、それ故に今こうしてこの文章を書いているという次第である。
 さて、これは懐疑主義者としての私を知る方々には聊か意外に思われるかもしれないが、ここでささやかな余興として少々の未来を占ってみようと思う。既に過去になっているはずの未来だ。
 私が原稿を打つノートパソコンを載せた木製の机の端にカルピスの入った透明のグラスが置いてある。私はこの原稿を仕上げると、推敲もおざなりにそれをマルコ・デルフィン氏に送信し、原稿料をいつもの口座に振り込むのではなく、ある住所に郵送してもらえるように嘆願することになる。そして、不審げに理由を尋ねる氏に感謝の言葉を告げて電話を切った私は、机の上のカルピスを味わいながら飲み干し、立ち上がって窓の前までくると、曇った窓ガラスに指先で何か言葉を書こうか数秒思案した末にその窓を開けて雪の世界へ吸い込まれていく。
 白樺はやがて、雪との境界を色彩によって維持する努力を放棄するだろう。私の穢れた口の端から赤い水が流れ出していく。
 サー・ガストン・ボイル氏による記念碑的なベストセラー小説『カルピスの悲劇』はまるで非の打ちどころのないとても素晴らしい小説だ。
 だが、気を付けたまえ諸君。ガストン・ボイルは、パピロス・クルスは問いかけてくる。
 その問いは、受け取る人間によってどんな姿にでも形を変え、時には刃物のような鋭利さで心を切り裂いてしまう。
 雪は醜さを覆い隠してくれるという。願わくば、私のこの汚い体を白い雪が覆い隠してくれることを。
               シルバーグラスにて 2010年1月9日 ガイウス・ルメルフエルト



注記
 決断は苦渋のものであったが、最後にはルメルフエルト氏の遺志を尊重し、私の責任を以ってこの偉大な文章をここに掲載する。ゴシック・パンダ二月号をガイウス・ルメルフエルトに捧げる。
               ゴシック・パンダ編集長 マルコ・デルフィン


 ガイウス・ルメルフエルト
  1978年9月2日生。国立セロトア大学卒業後、電気技師として働く傍ら執筆を続け、2003年『未熟な奇跡』でデビュー。翌年発表の『虹よりも丹念な死』で一躍脚光を浴びる。代表作には『嘘×高波』、『劇画色の正義』などがある。
 左利きの悪魔の異名をとり、アンナ・ニコライソフ、メリ・ハイネケンらと共に次世代型文学の旗手と目されるものの、2010年1月9日、シルバーグラスにて没する。


 マルコ・デルフィン
  ゴシック・パンダ編集長。1963年生。クメール社在籍中に手掛けた雑誌『0.2ミリの美術館』でその地位を不動のものとし、2004年独立。ヒャイムルンラ社を立ち上げ、『ゴシック・パンダ』を創刊する。二児の父でもある。