プロレスリング散空抱地 〜人類選抜戦〜

 
 アナウンサー「この番組は、“たったひとつの美味しさをすべての人に“。バニらっこの提供でお送りしています」
 フォックスミラージュの『グッバイターニャ』が流れ出す。美しいメロディラインを基調とした透明感のある曲だ。入場口に野上拓馬が現れる。スクリーンには野上拓馬の映像が流れている。野上は数歩前に出て立ち止まると、足を軽く広げ、拳を握った両腕を頭の上で交差させた。花火が小刻みな感覚で連続的に噴きだし、それがやむと野上拓馬はリングまでの通路の両側にある客席の人とタッチを交わしながら通路を走り、リングの縁に飛び乗ると、ロープの間からリングの中に入った。
 アナウンサー「野上拓馬がリングに入りました」
 すると今度はメリーインペインの『ロッキングチェアー』が流れ出す。入場口から菅原寛介が出てくる。そこそこでかい男だ。激しいドラムの音が一度鳴るのと同じタイミングで菅原は握り拳を踏ん張った足の膝の近くで握り、大きな雄たけびを一度だけ上げると、同時に赤い花火が一度だけマグマのように噴き出した。そして、リングまで走って行き、鉄階段からリングに入った。
 リングアナ(身長は170cm代前半ほど。下半身は黒いズボンに、上半身は縦じまのシャツに身を包んでいる。黒い髪はぴっちりとオールバックに決めている)「ただいまから、プロレスリング散空抱地第一回目、第一試合を行います」
 「181センチ、87キログラム。野上拓馬ぁーっ」
 野上拓馬が手を上げてから羽織っていた赤いガウンを脱ぐ。観客から拍手が起きる。
 リングアナ「192センチ、93キログラム。菅原寛介ぇーっ」
 菅原は落ち着いた表情で右手を上げると黒いガウンを剥ぎ取ってリング外に捨てる。
 観客席からは野上拓馬の時と同じように拍手が起きる。
 そして、試合開始のゴングが鳴らされた。
 リングの中の二人は両手を前に構え、腰を落として重心を動かさないままで、リングの中央を中心とする円を描く一本の棒の両端のように、間合いを図りながらぐるぐると回っていく。
 アナウンサー「さあ、いよいよ始まりました。プロレスリング散空抱地、オープニングファイト。記念すべき幕開けを飾る第一回、第一試合が始まりました。どうも、アナウンサーの金井です。注目の第一戦、まずは穏やかな展開の立ち上がりとなりましたね、中野さん」
 解説者「相手の出方をうかがっているといったところだな。相手の手の内がわからない以上、迂闊に相手の懐に飛び込むのは大きなリスクと言える。だが、いずれにせよどちらかが飛び込むことになるだろうな」
 二人が同時に飛び込み、リングの中央で組み合う格好になる。そして、体格で劣るはずの野上拓馬が菅原寛介をコーナーに押し込むと、ボディに強烈な拳の連打を見舞わせる。野上の拳が菅原の鍛えられた腹にめり込む度に強烈な音が鳴り、菅原の体は宙に浮くことになってしまう。しかし、隙を見つけて菅原が野上の首を両手で掴むと、真っ直ぐ前に進んで今度は逆に野上の体を反対のコーナーに押し込み、そのまま首を掴む両手に力を込めて締め上げ始めた。
 アナウンサー「これは・・・。これは、キルマイラヴァーでしょうか。最も静かな殺人技が早くも第一試合で出たようです」
 解説者「いきなりこれが出ちまうとはな。このままあっけなく試合が終わってしまうかもしれん。見ろ、野上の顔を。相当苦しそうだ。みるみる赤くなっていくぞ」
 しかし、野上は渾身の力を振り絞って拳を腹に打ち込んでいく。
 アナウンサー「菅原寛介も苦しそうな表情ですね」
 解説者「野上のパンチは苦しい体勢からだからそれほどの威力はないはずだ。だが、おそらく開始早々のボディ連打が確実に響いているのだろう」
 菅原が苦悶のうめきをあげ、首を絞める手を緩めた一瞬の隙に野上が菅原の右腕を取り、飛びついて右足を首に、左足を胸にかけて取った腕を股の間に挟むようにしてがっちりと固定し、両腕でしっかりと腕を掴んで懸命に体を反らせる。観客席からは意外性のあるこの仕掛けに驚きの喚声が爆発する。
 「これは、腕十字の態勢に入りましたよ」
 「ああ、完全に極まっている。だが。おお」
 菅原は腕を振り上げてマットに力いっぱい叩きつけた。
 アナウンサー「なんというパワーだ。片腕だけで筋肉の塊をあそこまで振り回すとは」
 野上はリング中央で悶えているが、菅原も極められた腕が相当痛いらしく、カバーに行くのを躊躇している。
 アナウンサー「やはり腕十字は完全に極まっていたようです。菅原選手カバーに行けません」
 しかし、険しい顔をしながらカバーに行く。レフェリー「ワン、ツー、・・・」スリー直前で野上が体を起こす。解説者「カバーに行くのが遅かったな」
 菅原がロープの反動を利用して、苦しそうに立とうとしている野上がようやく立ち上がった瞬間を狙って足の裏で顔を蹴るビッグブートをかまそうとするが、野上は寸前で身を交わし、勢いあまって前進していく菅原の背後で背中をロープにぶつけると、立ち止まって振り向いた菅原の首に強烈なクローズラインが飛んでいき、菅原は背中をマットにしたたかに打ちつける。ものすごい音がする。
 アナウンサー「ところで中野さん。雅婁馬の言っていた世界の『最適化』とは一体何なのでしょうか。そして、この散空抱地とは雅婁馬の計画にとってどんな意味をもつのでしょう」
 菅原はすぐに立ち上がるが、野上はさらにクローズラインを浴びせていく。
 解説者「奴はエッフェル塔アンコールワットを壊して、人類のほとんどもああなると言った」
 野上は菅原の腕を取りロープに投げようとするが、踏ん張られて逆に投げられてしまう。
 解説者「つまり、あの時に見せた得体のしれないパワーで人間を消してしまうつもりなのだろう」
 ロープに当たって跳ね返ってきた野上は身を低くして菅原の足を掬おうとするが菅原はジャンプして身を交わし、両者同時にロープに自分の背中を預けると、リング中央で減速しお互いの頬に同時にビンタを浴びせ、それは互角だった。観客からどよめきが沸く。
 解説者「だが、すべての人間を消してしまうつもりではないことは、雅婁馬の数々の発言から容易に推察される」
 リング上の両者はビンタを浴びて若干足をぐらつかせながらも踏ん張り、すぐさま今度は逆の手でビンタを浴びせに行くがこれも互角だった。再び観客がどよめく。
 解説者「雅婁馬の考えていることとはつまり、タフな男だけが暮らす楽園が『その後の世界』であり、その状態を作り出すことが『最適化』。そして、楽園に相応しいタフな男を選び出すことが人類選抜オーディションの意味だというのが妥当なところだろうか」
 リング上の二人は明らかに深いダメージを受けているが、両者同時に後ろ走りし、背中をロープに預けた反動でリング中央まで戻ってくると、そこでさらに再びビンタを交錯させた。観客はさらに再びのどよめきの後に歓声が起き、それが徐々に大きくなって会場を割らんばかりの大歓声になった。
 アナウンサー「そんなことが許されていいはずがありません。さて、リング上ではビンタの応酬が続いていますね」
 解説者「こうなってくるともう意地の張り合いだな。だが、真っ向勝負では体格に劣る野上に分が悪いだろう」
 菅原が野上の腕を取って野上をロープに投げようとするが、野上は踏ん張り、その反動を活かして菅原をロープに投げる。野上はリング中央で跳ね返ってくる菅原を待ち受けるが、菅原は背中の後ろでロープに腕を回して自分の体が跳ね返らないようにする。だが、野上は菅原に向かって走って行き、片足でマットを蹴って飛び、もう片足で菅原の胸を蹴り、宙返りをして着地した。観客が沸く。
 アナウンサー「ご機嫌ななめ!!」
 解説者「ロープに投げてからのクローズラインを見せてそれを警戒させる。クローズラインを喰らわない為に相手はロープにしがみついて跳ね返らないようにするが、そこからがこの技の真骨頂だ。見ろ、菅原を。明らかにダメージを受けているが腕をロープに絡めたせいで崩れ落ちることもできない。ロープに自分の重みを預けて斜めの態勢になっている。これこそが技名『ご機嫌ななめ』の由来だ。そして、見ろ。もう一発いくぞ。これは勝負あったか」
 野上は朦朧としてロープに寄り掛かる菅原の前に立つと、右手で強烈なビンタを頬にかます。観客は興奮のあまり絶叫を上げる。
 今度は左手でもう一発。観客絶叫。
 アナウンサー「菅原は抵抗できない」
 さらにもう一発右手で。観客吼える。
 そして、菅原の脇の下に手を入れるとそのまま後ろに倒れ込んでバックドロップをする。ものすごい音がする。野上がカバーに行く。レフェリー「ワン、ツー、スリー」
 ゴングが鳴る。リングアナ「勝者。野上拓馬!!」
 アナウンサー「一試合目からものすごい試合でしたね、中野さん」
 解説者「ああ。まさか野上があんな技の使い手だったとはな。ますますこの男から目が離せなくなる。だが、負けた菅原もただものじゃない。この男、どうもまだ何か力を隠している気がする。それに、ちょっと引っかかることもある」
 アナウンサー「と、いいますと?」
 解説者「この映像を見てくれ」と言うとスクリーンの映像がリング上の映像から切り替わる。
 スクリーンの中で派手な恰好の大男が電話口で深刻そうな表情をしている。「とんでもない計画が動き出そうとしている。にわかには信じられそうにもないことだが」
 アナウンサー「これは、先々週の水曜日に放送された謎の映像ですね。ですが、これが一体?」
 解説者「しっ、耳を澄ませてみてくれ」
電話口からは通話が切れたことを意味する規則的な電子音が繰り返される。
 派手な顔の大男が気配を感じて振り向くとそこには派手な恰好の雅婁馬と二人の部下が。そして、その内の一人は阿杜未森だ。客席からブーイングが起こる。
 電話をしていた男「な、馬鹿な。何故こんなにはやく」
 雅婁馬「フフフ。電話線を切らせてもらったよ」と言って切った電話線を見せたところで映像が止まった。
 解説者「いいか。もう一度見てくれ。今度は静かにな」
 同じ映像が初めからまた始まる。
 派手な恰好の大男が電話口で深刻な表情をしている。「とんでもない計画が動き出そうとしている。にわかには信じられそうにもないことだが。ようく聞いてくれ。そして、大統領に伝えるんだ。おい。おい、どうした?菅原。返事をしてくれ」
 電話口からは通話が切れたことを意味する規則的な電子音が繰り返される。
派手な顔の大男が気配を感じて振り向くとそこには派手な格好の雅婁馬と二人の部下が。
 雅婁馬「フフフ。電話線を切らせてもらったよ」と言って切った電話線を見せたところで映像が止まる。
 解説者「わかっただろう。この電話をしていた謎の男は『菅原』という名を口にしている。状況から察するに、この謎の男は雅婁馬と敵対する勢力が雅婁馬軍に送り込んだスパイに違いない。連絡役と思しき『菅原』という名の人物が今ここで壮絶な戦いを繰り広げた菅原寛介と同一人物なのかはわからない。だが、もしそうだとしたら、奥の手を隠しているというのも頷ける。まだまだこんなものではないだろう」
 アナウンサー「そうなると、七人中四人が雅婁馬に敵対心を持っていることになりますね。残りの三人の内、阿杜未森が雅婁馬の部下、そして、“神の子”宮門我意と“おうし座”朱雀哉眼は我が道を往くといったところでしょうか。さて、次の試合、朱雀阿杜組対宮門姫川組のタッグマッチはCMの後です」
 溶暗。