プロレスリング散空抱地 〜人類選抜戦〜

第二章 雅婁間の気まぐれ

 病院の一室の映像が映し出される。全身に包帯を巻いた姫河恵二がベッドに横たわって足を吊っている。姫河がベッドの横にいる誰かに話しかける。
 姫河恵二「情けないぜ。医者が言うには全治2週間、完全に動けるようになるまでにはさらに時間がかかるそうだ」
 姫河恵二「すまない。俺はもうここで脱落かもしれない。だが、絶対に復活してやる。それまでお願いだ。リングを守ってくれ」
 画面が横に移動して、姫河と話している人物の姿を映す。そこには青いマスクをかぶったSKハーシュの姿が映っている。大歓声が沸き起こる。
 SKハーシュ「お前はまだここでは終わらない。そして、約束しよう。雅婁馬には決して屈しないと。お前の復活を楽しみにしている」
 熱い友情を誓い合い男たちは険しい表情で空を見つめている。
 画面が暗くなり、それから番組のテーマソング魔砲ドラゴンの『イッツファンタジー』が流れ出し、画面には散空抱地の出場者である7人のレスラーが次々と出てきてそれぞれにポーズを取り、最後に雅婁馬隆作が両手を広げて「世界は俺のものだ」と言わんばかりの顔をした後に画面が切り替わり、満員の雅婁馬アリーナの観客席を上空から映し出す。
 アナウンサー「こんばんわテレビの前のみなさん。今週もこの時間がやってまいりました。それでは早速第一試合に出場する選手を迎えましょう」
 グレッグエイクの『コールドスプレイ』が流れ出す。阿杜未森の入場曲だ。
 リングアナ「178センチ、82キロ。阿杜未森」
 阿杜は入場口から飛び出すと、元気よくとび跳ね廻り、キックボクシングの構えでステップを踏んだところで後ろから花火が勢いよく飛び出す。
 その音にオーバーラップするように会場全体が割れるようなブーイングで満たされる。
 アナウンサー「ものすごいブーイングです」
 解説者「みんなもうこの男の素性を知っているからな」
 アナウンサー「それにしてもこのブーイングは前代未聞です」
 阿杜はキックボクサーのようにトランクスに上半身は裸という格好で引き締まった筋肉を見せている。
 阿杜はリングに上がるとマイクを手に持ち、マイクアピールを始めた。
 阿杜未森「どうも、こんばんは。阿杜未森です。今日は雅婁馬アリーナのみなさんに会えて光栄です」ブーイングが限界を超えて高まる。
 阿杜未森「ハハハ。みなさんもうれしいみたいですね」ブーイングが鳴りやまない。
 阿杜未森「ところで、先週の散空抱地ではかなしいことがありましたね」と言いながら腫れた頬をさする。
 阿杜未森「これが先週の映像です」と言ってスクリーンに注意を促す。
 スクリーンの中で、リング外から変な顔で挑発する阿杜にリング内の姫河が強烈なパンチを放って阿杜が吹っ飛ぶ。
 スクリーンの中の観客が歓声を上げ、同時にスクリーンを見ている観客も大歓声を上げた。
 続いて試合後に姫河が朱雀哉眼、阿杜未森と続けざまにダイアモンドカッターを決める場面が流れる。
 阿杜未森「見ましたかみなさん。この男は神聖なリングを汚しました。このような男にはもうリングに上がる資格はありません」観客ブーイング。
 解説者「こいつはどこまでも観客をバカにしてるな。その徹底ぶりには敬服するぜ」
 阿杜未森「でもご安心ください、みなさん。われらが雅婁馬さんがやってくれました」
 そして再びスクリーンに注目を促す。
 スクリーンの中では、リング上で雅婁馬と姫河が相対している。
 姫河が雅婁馬にビンタを2発喰らわすが、耐えた雅婁馬が姫河にチョークスラムを決めて姫河は動かなくなる。
 スクリーンを見ている観客がブーイングをする。
 スクリーンは切り替わり、リング上で満面の笑みの阿杜未森を映し出す。
 阿杜未森「場違いなクズは消えました。さあみなさん。神聖な闘いを続けましょう」
 観客ブーイング。
 アナウンサー「我々は姫河恵二の一刻も早い回復を祈っています」
 ボイルドジャッカスの『グラントリノ』が流れ始める。金色の髪の宮門我意が登場する。
 リングアナ「184センチ、98キロ。宮門我意」
 宮門我意は金色のシャワーの中でしばらく恍惚に浸っていてから、走ってリングに上がった。宮門がリング上で金色のガウンを脱ぎ捨てる。
 ゴングが鳴って試合が始まる。両者がリングの中央でお互いに距離を図る。
 アナウンサー「さて、散空抱地も第二回目を迎えましたが中野さん。ここまでの印象をお聞かせください」
 解説者「そうだな。第一回は最初から最後まで波乱の連続で中身のぎっしり詰まった鯛焼きのようだったというのは先週も言った通りだ。だが、依然として謎は残っている。雅婁馬に抵抗する勢力の存在を俺たちは知っている。このままことがすべて雅婁馬の思い通りに進むとはとても思えん。俺たちにできることがただ見守ることだけだったとしてもな」
 試合開始早々は宮門が主導権を握り、フィジカルの差を活かして圧力をかけながら拳、頭、肘、足を気持ちよく叩き込んでいく。
 阿杜未森は左足でミドルキックを放つが、宮門我意の右腕に掴まれてしまう。しかし、左足を宮門に掴ませたまま右足でジャンプして宮門の頭に蹴りを入れる。
 アナウンサー「キックが決まりました」
 宮門は脳を揺らされて倒れ、阿杜も同時にマットに落ちる。
 アナウンサー「ところで中野さん。“ジャック”の異名を持つ貴方から見た今リング上で闘っている二人の印象をお聞かせください」
 リング上の両者は同時に立ち上がり、阿杜の体を掴んだ宮門がバックドロップを決める。
 激しい音がして観客が歓声を上げる。
 解説者「実は俺たちはこの二人が闘っている様を眺める経験がそう多いわけではないんだ。確かにこいつらは第一回の散空抱地でタッグマッチを闘ったが、宮門は覚醒モードの朱雀哉眼に一方的に殴られている時間が長かったし、阿杜未森に至っては開始早々で戦いを放棄している。最後には姫河恵二のダイアモンドカッターの餌食になったがね」
 宮門我意がカバーする。レフェリー「ワン、ツー、」阿杜返す。
 アナウンサー「カウントツーで返しました」
 宮門は立ち上がり、まだ寝ている阿杜を繰り返し踏みつけてダメージを与えていく。
 解説者「だが、俺たちが阿杜の闘うさまを見るのは、実は先週の散空抱地が初めてじゃない」
 充分なダメージを与えたと判断したらしい宮門我意がさらにとどめを刺す為に阿杜を立ち上がらせ、ロープに投げる。
 解説者「新大統領就任式で雅婁馬軍が新大統領を襲撃した際、大統領専属SPのSKハーシュを仕留めたのを俺たちは確かに見たが、あの時に阿杜が見せたキックボクシングの技術は確実にアジアチャンプクラスに相当すると言っていいだろう。何故これほどの男が雅婁馬の腰ぎんちゃくに収まっているのか」
 ロープから跳ねかえってきた阿杜を宮門がエルボーで迎撃しようとするが、直前で減速した阿杜が体を引いてエルボーを交わすと、ジャブから始まり左ハイキックで終わる一連のコンビネーションを叩き込んでいく。
 アナウンサー「美しいコンビネーションだ」
 マットで伸びている宮門に対して阿杜がカバーに入る。
 レフェリー「ワン、ツー」解説者「これは勝負あったか」宮門返す。
 アナウンサー「凄い。返した。ニアフォールです」
 阿杜は立ち上がり、コーナー近くに横たわった宮門の足を引っ張ってリング中央に引きずっていく。
 アナウンサー「そういえば中野さん。プロレスリング散空抱地の公式サイトが開設されたのをご存知ですか?」
 解説者「ああ。なんとなく小耳に挟んだので俺も検索してみたが、詳細な選手データが載っていたな。プロレスファン必見のサイトと言えるだろう」
 アナウンサー「ええ。これからさらにコンテンツを充実させていく予定だそうです」
 阿杜が宮門の足を持ち上げて関節技を掛ける。宮門の顔は苦痛に歪み、垂れ下った金色の髪の間から苦悶の呻き声を上げる。
 アナウンサー「これは外れそうもない。タップするのか」
 だがその時、サイレンのような音が鳴って会場の照明が落ちる。
 解説者「なんだ?ハプニングか?」
 次の瞬間、鳴り続けるサイレンの中にドラムの音が響き、赤い照明が会場の闇を真っ赤に染めて、それからまた黒い闇に戻る。
サイレンとドラムの中にギターの音が加わる。
 アナウンサー「これは人気ロックバンド、サイレントワーカーのフォースシングル『パブリックオーダー』ではないですか?」
会場に響いていた音にボーカルが加わり、赤い照明が一定の間隔で明滅する。
 だが突然すべての音が消え、同時に照明が元に戻り、リングの上では黒装束に身を包んだ三人の人間が阿杜未森と宮門我意を包んで三角形を描いている。
 宮門我意に関節技をかけていた阿杜未森未森はその手を離し、宮門の足は音を立ててマットに落ちて、同時に黒装束の人間の後ろ回し蹴りが阿杜未森の側頭部に入って阿杜は糸の切れた操り人形のようにマットに崩れ落ちる。
 もう一人の黒装束の男が宮門にリングを降りろと手で指図し、宮門は関節技をかけられた足を庇いながら立ち上がると、両手を上げて攻撃する意思がないことを黒装束の人たちにアピールしながらゆっくりと下がってリングを降りた。
 黒装束の人たちは動かなくなった阿杜未森をリングの上に残したままリングアナにマイクを要求し、マイクを受け取った。
 アナウンサー「会場が緊張感に包まれています。一体この人たちは何者なのか。何のためにこの場所に来たのか。災厄を運んできたのか。それとも逆に救いを運んできたのか。彼らがマイクで語り始めてからの数秒であるいは幾つかの疑問がとけるかもしれないという淡い期待がこの大勢の観客に固唾を飲んで見守らせている原因でしょうか」
 解説者「だろうな。そして、俺もその固唾を飲んで見守る人々の一人だ」
 会場を完全な沈黙が包む。その沈黙が重力を10倍にも20倍にもしたような緊張感と同化している中でマイクを持った黒装束の人間が声を発する。
 黒装束の人間「こんばんわみなさん。我々は大統領直属の特殊精鋭部隊のメンバーです。そして、大統領執務室は既に雅婁馬軍によって掌握されました」
 重量感のあるどよめきが沈黙を破る。人々は発せられた言葉の意味を把握するのに手間取っているという様子だ。
 解説者「冗談だろ。執務室が雅婁馬軍の手に渡っただって?それじゃ、世界は一体どうなる。俺の家族は。本当に世界は雅婁馬の手に落ちちまったっていうのかよ」
 会場の大勢の人もこの黒装束の人の言葉の意味を飲み込み始め、悲鳴を上げる者や、溜息を吐く者、頭を掻き毟る者、ただただ呆然と立ち尽くす者がいる。
 黒装束の人間「大統領というシステムは機能を失い、我々は存在意義から零れ落ちた。しかし、我々の血管を流れる世界秩序の精神は決して絶えることはない。我々は闘ってみることに決めたよ。例え我々が大統領執務室と言う頭を捥がれた蜘蛛だったとしてもね。そして、我々のような人間は我々の後ろにまだ何人もいる。雅婁馬、聞いているだろう。ここに出てきてほしい。私はお前と闘いたい。この場をもって新世界と雅婁馬軍の最終戦争にしようじゃないか。雅婁馬よ、聞いているんだろう?」
 そして、マイクをおろす。会場は再び沈黙に包まれる。
 沈黙は長く続き、その後にブラックエンジェルの『ヘルインアセル』によって破られる。
 2メートル超の雅婁馬がマイクを持って登場する。雅婁馬は入場口で左右に歩き、自分の次の行動を待っているすべての人間を焦らし抜いてから口を開いた。
 雅婁馬隆作「フフフ。おやおや、誰かと思えばへっぽこ大統領のお弟子さんたちでしたか。俺と闘いたいんだって?」
 黒装束の人間「リングに上がってこいよ。一対一でも構わない」
 雅婁馬隆作「なあ、よく聞いてくれ、精鋭部隊さんよ。俺がリングに上がっておまえらをぶちのめしてやってもいいんだがな。それでは味気ないというものだと思わないか?俺はそう思うがな」
 黒装束の人間たちは口々に「恐いのか?」などと叫んでいる。
 雅婁馬隆作「しかしこれはいい機会だ。そうだな。こうしよう。野上拓馬。ちょっと出てこいよ」
 少し間を置いた後にフォックスミラージュの『グッバイターニャ』が流れて野上拓馬が出てくる。
 アナウンサー「雅婁馬は何をしようというのでしょう」音楽が止まる。
 雅婁馬隆作「なあ、野上。俺の代わりにあいつと闘ってくれないか?」と言ってリング上のマイクを持った黒装束の人間を指差す。
 雅婁馬隆作「あいつらは俺たちの神聖なリングを汚そうとしているんだ。お前にリングを守るチャンスを与えてやるよ」
 雅婁馬は野上にマイクを渡す。
 解説者「今のところ隠してはいるが、野上は雅婁馬に敵対心を抱いているはずだ。野上はどう答えるのか」
 野上拓馬「ええ。別に構いませんよ。彼を倒せばいいんですね」
 野上拓馬は雅婁馬にマイクを返すとリングに向かってスタスタと歩いていく。
 少し歩いたところで雅婁馬が呼び止める。
 雅婁馬隆作「だが条件がある」野上は足を止め振り向く。
 雅婁馬隆作「もしこの闘いでお前が敗れれば、お前は即脱落だ。二度と散空抱地のリングに上がることはないし、来るべき世界の『最適化』を生き延びることはできない」
 野上は表情を変えない。
 雅婁馬隆作「そして、お前が勝った場合。5分間のスピーチの時間を与える。その時間の中でお前は、雅婁馬軍への忠誠心、雅婁馬軍の理念がいかに素晴らしいか。そして、雅婁馬軍の為にどんな犠牲を払う覚悟ができているかを語ってもらおう。わかったな?」
 雅婁馬はマイクを野上に投げる。野上がマイクを受け取る。
 野上拓馬「ああ。わかったよ」
 野上が雅婁馬にマイクを投げ返す。そして、また振り向いてリングに向かう。
 アナウンサー「とんでもない展開になってまいりました。この試合で負けると野上拓馬の闘いはここで潰えます」
 解説者「そして、勝ったとしても雅婁馬への忠誠心を語らなくてはならない。野上は雅婁馬の行いを止める為にこの舞台に出場すると家族の前で誓ったはずだ。その家族がおそらく見ているであろう中で雅婁馬への忠誠を誓うという屈辱に耐えられるのか」
 アナウンサー「注目の闘いはCMの後です」
 溶暗。
 

 


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